テクテク〜私の歩く道〜
アスペルガー症候群と診断された私の記録。
2度目の不登校。
卒論の指導教授は、とても厳しい人でした。早口で何を言ってるのかさっぱり分からなくて、私はオロオロするばかり…。「ボーっとしないで!ちゃんとメモ取りなさい!」といつも怒られていたのですが、メモなんて取る余裕なかったし…。



タイトルの「2度目の不登校」についてですが、1度目の不登校は高校時代です。

高校時代は、勉強も出来ず、友人関係もうまくいかず、それで不登校になってしまいました。

大学では勉強は出来なかっけど、そのぶん学内での友人関係はうまくいってたので、学校に行くこと自体は楽しく、ほとんど休まずに通っていました。しかし大学5年目にしてついに、学校に行くのが嫌になり、休みがちになりました。これが2度目の不登校。

卒論が全然進まず、鬱状態になってしまったのです。

それに私は留年なので同窓生たちは既に卒業していて、友達と会う楽しみもなくなりました。

その頃に教育実習に行きましたが、それもうまくいかず、教師になるという目標も失いました。

このまま休み続けて退学になってしまえ。と投げやりな気持ちになりましたが、時々教授から呼び出しの電話があって我に返ったり、「あんなに苦労して学費を貯めたのに、ここでやめたら勿体ない」と思ったり…
「やめたい」「やめられない」の繰り返しでした。


見栄の為に大学進学の道を選んだものの、関心の無い分野で大変な苦労をするはめになり、その結果、留年。
社会に出たくないから留年でも別にいい、むしろ有難い…、なんて、なめたことを考えていたら、一人取り残されて鬱状態。

どこで道を間違えたのか。


まあ・・・なんやかんやありながらも、結局は、大学をやめずに続けました。
最後まで諦めずにやり遂げた…というよりも、やめる勇気が無かったんだと思います。

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卒論。
現在の話になったり過去の話になったり、話があっちこっち飛んですみません。
読んでて混乱しそうですね(私が)。

過去の話は大学生活の途中まで書いていたので、また続きを書こうと思います。



私は大学を4年で卒業できず、1年間留年してしまいました。
昔から周りの評価を気にしてばかりの私ですが、この時はなんとも思いませんでした。
むしろ、社会に出るまでの猶予期間が延びたことにホっとしていました。
3年生の頃に既に留年が決定していたので心の準備はできていて、パニックにもなりませんでした。

でもこれで本当に最後。あと1年だけ。
短大と大学に行って、さらに留年。
モラトリアム期間をたっぷり貰いましたが、さすがにもうこれ以上延長しづらい。

最後の1年、何事もしっかり頑張ろうと思いました。
が、さっそくつまずきました。

卒論の計画表の提出期限を知らず、期限を過ぎた後に気付きました。
他のみんなは期限までに提出していたのに、なぜ私だけ知らなかったのか・・・
たぶん話を聞いてなかったのでしょうけど…
慌てて計画表を作って提出しましたが、「もうとっくに期限を過ぎてるので受け付けられない」と冷たく言われました。

ってことは、また来年も留年?!
いやいや、さすがにそれはカッコ悪い。・・・と思いながらも、心の片隅では「まだまだ社会に出たくないから、もう1年留年もありかな」とか思ったりもしました。それほどに社会に出るのが嫌だったのです。
でも「カッコ悪い」という意識のほうが強かったので、やはりこれ以上の留年は避けなければと考え、話を聞いていなかった事を平謝りし、どうにか受け付けてもらいました。ホっ…。

だけど、テーマの詳細や教授を自由に選ぶ余裕はもう無くて、定員に空きがあるところへ自動的に決定してしまいました。

大学の勉強は難しくてつまらなかったけど、卒論は楽しく書きたいと思ってたのに、それも叶わず・・・。自分のミスなので仕方ないですけど。

続く。

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アスペルガーに対する誤解。その2
私がいちばん心配しているのは、いつか息子が自分の障害名を知る時に(何年も先でしょうけど)、自分でアスペルガーのことを調べてみるかもしれません。そのとき、ネット上に溢れる数々の誤解や偏見を目にして、どう思うだろう。

中には、「アスペはこの世から消えろ」「犯罪予備軍だ」というような酷い書き込みも多々あります。私はもう大人だからそういった心無い書き込みを見てもスルーできる術を身につけていますが、息子がもしそれを見たら真に受けて「自分は存在してはいけない人間なのか」「犯罪者になってしまうのか」と…深く傷つくのではないかと、それがとても心配なのです。


一方で、過去の偉人や成功者をアスペルガーだとする風潮もありますね。
「アスペルガーは悪いことばかりじゃないんですよ、成功者もいるんですよ」と、励ます意味で言ってくれる人も多いだろうし、実際にそういった言葉に励まされた当事者もたくさんいると思います。
でもよく考えてみると、それもまた、アスペルガーに対する誤解を助長しているように思うんです。


犯罪者だとか偉人だとか、そんな大きな話じゃ無いんです。


たとえば・・・私の場合、

子供の時、幼稚園の先生が「今日は嬉しいお知らせがあります」と言ったのに、そのお知らせを聞いても全然嬉しいと思えなくて、

でも私以外のみんなはとても嬉しそうに喜んでいて、

あれ?
なんで私だけ感じ方が違うんだろう…って。

他者との間に見えない壁があるような、ないような…

そんな少しの違和感が始まりだったような気がします。


何だかうまく説明出来なくてすみません。。。難しいです。




はぁ…それはさておき。とても辛いことがあって…立ち直るのに少し時間がかかりそうです。かと言って何もしてないともっと暗い気持ちになるんで、気の向いたときに少しずつ更新します。

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アスペルガーに対する誤解。
続き。

親の会で「非常識な人がいる」→「アスペルガーだろう」の流れになったのは、どんな話だったかと言いますと、

「地区の集会?の時に必ずペット(犬)を連れてくる人がいる。大きい犬なので子供達は怖がってるし、犬が苦手な人もいるのでやめて欲しいと、さり気なく注意したけど分かってもらえない。」

・・・というような、(うろ覚えですが)こんな感じの内容だったと思います。

それで、
「自分が犬が好きだからって、他のみんなも好きだとは限らないのにね」
「怖がってる子もいるのに分からないのかしら」
「少しの間も家に置いていけないなんて、凄く心配性な人なのね」

という話をしていて、「ちょっと厄介な人ね〜。そういう人困るよね〜」みたいな空気になり・・・
そのうちに、「その人はたぶんアスペルガーだ」と決めつけたうえで話が進み・・・

心配性なのはアスペルガー
「自分が好きなものは他人も好き」という思い込みの激しさはアスペルガー
周りが見えないのはアスペルガー
暗黙のルールが分からないのはアスペルガー


親御さん達は、きっと普段からたくさん発達障害の事を勉強しているのだと思います。
でも当事者であれば自分の経験から学ぶこともできますが、当事者以外ならば、本やネットなどで調べて勉強する事が多いと思うんです。

本やネットで調べると、確かに、アスペルガーは思い込みが激しいだとか暗黙のルールが分からないだとか、そういう特徴が書いてありますので、その特徴を持った人を見ると、「アスペルガーかも」と反応してしまうのかもしれません。
でもね、定型発達者にも色んな人がいるようにアスペルガーにも色んな人がいるのだから、「アスペルガーはこういう人だ」という決めつけは、やはり困るのです。

アスペルガーの特徴として、例としてよく、「太ってる人を見て、太ってるねと正直に言ってしまう」というようなことが書かれています。相手が傷つくことを想像出来ない…とか。

まるでアスペルガーの代表的な特徴であるかのように書かれていることもありますが、私は、太ってる人に太ってるなんて言ったことは一度も無いし、そういうことを言うと相手が傷つくのは想像できる。

まあ私は受動型なので典型的なアスペとはちょっと違うのかな、というところもあるのですが、積極奇異型で何でもペラペラ喋る息子でさえも、人の傷つくことは絶対に言わない。落ち着きなくて手が掛かる子だけど、とても優しい子です。

だから園の先生には、「こんなに優しい子なのに、本当にアスペルガーなんですか?」なんて言われたこともあります。それって「アスペルガー=優しくない、意地悪、思いやりが無い子」ということが前提になってますよね…。

似たような経験がいくつもあります。
市の職員の方とお話していた際に、私が相手を気遣うような言葉をひとこと言ったら「アスペルガーの人でも相手を気遣うことが出来るんですか?」と驚かれてこっちが驚きました・・・。

ネットで質問サイトを見ていると、「周りにこんな困ったちゃんがいます」→「それはアスペルガーですね」という書きこみ、毎日のように目にします。

アスペルガーや発達障害という障害名が近年知られるようになったのは良い事ですが、障害名だけが独り歩きしている感があり、とても残念です。

こうした誤解を正しい認識に変えるにはどうしたらよいのか…。長い時間が必要なのでしょうか。長い時間をかけても変えられないのでしょうか?


まだ続く…

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「厄介者は発達障害者」の風潮について。
前回の記事で書いたような事(厄介者を発達障害者としてしまう風潮)は、実はかなりあります。

発達障害をよく知らない人が、厄介者の代名詞として「発達障害」「アスペルガー」という言葉を容易に使っているのもよく見かけます。(ネット上では頻繁に)


「アスペルガー=想像力の欠如」という中途半端な知識だけ持っていて、想像力の欠如=人の気持ちを想像できない=人に迷惑をかけて平気な人・思いやりの無い人・厄介な人=アスペルガー・・・と容易に結びつける。

理解しようともせずに勝手な思い込みでアスペを悪者扱いしているのは嫌な気持ちにはなりますが、いちいち腹を立てても仕方ないので、放っておくしかない。「人の想像力にケチつける前に自分の想像力を心配したらどうですか」とでも言っておけばいい。



一方、発達障害を理解しようと努めている人の中にもそういう傾向があるのです。前記事の親の会の人達もそのケースです。

私はよく発達障害のブログ村を経由して多くの方のブログを拝見していますが、こういったブログを書いている方の中にも、時々そういう記述を目にします。
標準から外れている人を発達障害者と認定したりとか。
ブログ自体は大変真面目なもので、ふざけた気持ちで取り上げているわけではないし、発達障害を理解しようと努めているのが窺われる。だからこそ、そういうことを書いてあるのを見ると、なんだかとても悲しくなるのです。

素人が他人の発達障害を疑ってはいけない、と言ってるわけではありません。
そもそも初めはみんな、「・・・かもしれない」という疑いから入っていくものだと思います。

でもそれは相手が親族だったり同僚だったり同級生だったり、長く接したことのある相手なら分かるのです。
私も自分の母や兄のことを「アスペだと思う」と書いた事がありますが、長い年月一緒に生活し、数々の言動を知った上で判断したものであり、けっして一度や二度のおかしな言動だけで判断したわけではありません。


だけど初めて会った相手や、メールや電話でしか接した事の無い相手について発達障害者と決めつけてしまうのはどうかな、と。
そういう記述を何度か見た事があります。愕然としました。

前記事の親の会の場合でいいますと、「こんな非常識な人がいるんですよ」という話を又聞きしただけで、実際に会ったことも無い人達が、「その人はアスペルガーでしょうね」ということで納得していたし。


長くなったの続きは次回に。

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