テクテク〜私の歩く道〜
アスペルガー症候群と診断された私の記録。
大学進学への道。
私の回想録をシリーズで書いてます。まだアスペルガーという障害を知らなかった頃の出来事です。
以前書いた話と被ってる部分もありますが、改めて詳しく書き直しています。


続き〜

短大2年になって周りが就職活動を始める中、私は大学進学を目指していましたが、そのことは誰にも言いませんでした。
言わなかった理由は、反対されるのが嫌だから。それと、落ちたら恥ずかしいから・・・です。

こうして1人でこっそり受験勉強しながらも、周りの空気につられて、就職試験も受けてみることにしました。

すると幸か不幸か、大手企業から内定をもらいました。

さすがにこれには、大学進学の決意が一瞬揺らぎました。

大学に行きたい理由の一つは「周りの人を見返したい」ということですが、わざわざ大学へ行かなくても、大手企業に勤めることで充分見返すことができるではないか。

しかも内定は確定しているけど、大学は合格する保証が全くないのだから、安全な道を行った方がいいのではないか。

ということで散々悩みました。

でもけっきょくは、内定を断りました。

安全な道よりも不確定な道を選択しました。

そうまでして、大学進学にこだわった理由は何だったのか・・・



やはり私は、社会に出るまでの猶予期間を長く持つことが必要だと思ったのです。

子供の時からずっと、家庭や学校という小さな社会の中でさえも、生きづらさを感じながら過ごしてきました。
そして短大生になって初めてアルバイトを経験して外の世界に触れてみたけど、自分が思っていた以上に役に立たない人間だと痛感し、愕然としました。

こんな状態のまま社会人になったら一体どうなるんだろうかと・・・・考えたら怖くなりました。

だから社会に出る前に、もっと立派な学歴や資格を獲得し、そして自分探しをしながら社会に出る力を身につけよう・・・と考えました。


そうこうしながら、ついに受験本番を迎え、そして無事に合格することが出来ました。

しかし喜んだのも束の間・・・

初めにぶつかった壁は、家族との不和、そしてお金の問題でした。
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自分探し。
続き。

対人関係がうまくいくようになったと喜んでいたのは一瞬のことで、やっぱり私はどう頑張ってもうまくいかないんだ・・・
再び、高校の時と同じような絶望感が襲い、毎日涙を流すようになりました。

サークルもやめて、友人との交流も狭くして、会話にもほとんど参加しなくなり、学校は休まなかったけど講義で発言するようなこともなくなり、昔のような「おとなしい、暗い子」に戻りました。


そうして私は1人孤独に、次の目標に向かい始めました。
次の目標というのは、「大学を受験して合格すること」です。
それは前々から考えていたんだけど、対人関係がうまくいってた時には、この目標は忘れていました。

しかしなぜか、うまくいかなくなった途端に、「大学に行かなければ!」という目標、というか変なプライドが出てくるのです。


学びたいことがあったわけではなく、勉強熱心だったわけでもない。
それなのに、なぜそんなに大学へ行くことにこだわったのか・・・

一番の理由はやはり、「周りの人達を見返したい」という気持ちが大きかったと思います。


それと、モラトリアムの期間を延長したかったことも大きな理由の一つでした。

私は自分が何者なのか分からない。子供の時から感じている違和感の正体がさっぱり分からない。

無口だと失敗して、喋っても失敗する私は、これからどう生きていけば良いのか分からない。

こんな状態で社会にでれば、また失敗を繰り返すだろう。


だから社会に出る前に、自分探しをするための猶予期間を欲しいと思いました。短大の2年間はあっという間で自分探しどころではないので、もっと考える時間が欲しいと思ったのです。


親のすねはかじっていません。大学の学費はアルバイトで稼いだ自分のお金で支払っていました。奨学金も貰っていなかったので、100%自費でした。
それについては色々と事情があるので別の機会に書きます。

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受動から積極奇異へ。
私の昔話。続きです。

高校を卒業後、上京して1人暮らしを始めました。

新しい環境は苦手だけど、家族と離れ、同級生と離れ、一からやり直せる良い機会かもしれないと、前向きな気持ちで新生活をスタートさせました。



受動型・積極奇異型・孤立型というタイプは、固定しているのではなく、流動的なものだと聞いたことがあります。

私は子どもの頃も、そして今も、完全に受動型だと思います。

でもこの頃の私は、積極奇異型のようなタイプに変わりました。

はじめは意識して積極的な性格に変えようとしていました。
過去の私を知る人のいない今が絶好のチャンスだ、と。


そうして、短大の講義中には自ら手を挙げて教授に質問をしたり、友人と話すときも受身で聞いているだけではなく、自らたくさん話すように心がけたり・・・

今までには絶対にしなかったことを、するようになりました。

だけどやっぱり私は発想がズレているようで、いつもトンチンカンな発言をしてしまうのでした。

講義中に発言をしたときには、講義室が笑いの渦になったこともありました。
もちろん私は笑わせるつもりなどなく真面目に喋ったつもりですが、真面目顔でマヌケなことを言ってる姿が滑稽だったのでしょうか。

そういうことが何度も続くうちに、「面白い人だね」と人から言われるようになりました。
私は「おとなしい」とか「暗い」とか言われることは何度もあったけど、「面白い人」と言われたのは初めてだったので驚きました。

今まで無口だったから気付かなかったけど、私は喋ると面白い人になれるんだ・・・と気づいて、それから意識しなくても自然にたくさん喋れるようになり、行動もかなり積極的になってきました。

他大学のサークルに1人で見学に行き、複数のサークルに入部して対人関係を広げてみたりとか。そこでもまた「面白い人がサークルに入ってきた」と喜んでもらえたり。


今まで(高校まで)の自分は何だったんだろう、と思えるほど、明るい学校生活を送っていました。

でも長くは続きませんでした。



喋るタイミングを間違えたり、相手が嫌がっていることに気づかずに喋り続けたり、ポイントのズレた発言をしたり・・・

そういう部分を初めは「面白い」と言ってもらえるけど、そのうち鬱陶しがられるようになるのです。

自分では気づかないけど、相手に指摘されて初めて気づきます。



無口だと失敗するし、喋っても失敗する。

「ちょうど良い具合」というものが、私にはわかりませんでした。

どうしたらいいものかと、再び悩み始めました。

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最近の息子。
私の話ばかり続いていて息子の話を最近あまり書いていないのですが、特に問題がないから書かないのではなく、問題が有り過ぎて何から書けばいいのか分からないという状態・・・

就学のこともあるし、考えなきゃいけないことが多すぎて、頭がパンクしそうです。



とりあえず昨日の出来事を書いてみます。

息子は手先が器用なので、絵を描いたり工作をすることが大好きです。でも不器用な面もあります。

いつも、お料理の卵割りをやりたがるのでやらせるのですが、一度も成功したことが無い。昨日もやってみたのですが、失敗して生卵がベチャっと床に落ちてしまいました。

「あーー!床が汚れちゃった!ちょっと待ってて!」と言うので、床を拭く雑巾でも持ってきてくれるのかと思いきや、なぜか厚紙やカラーペンなどを持って来ました。

そして厚紙で立て看板のような形をササっと作り、カラーペンで「たまごがおちてます!きけん!ふむな!」と書いて床に置いていました。

そんなものを作るよりも、汚れた床を掃除をしてくれたほうが有難いのですが・・・

でも息子の趣味を否定することを言ってはならないと思い、「上手に作ったねー」と、とりあえず褒めておきました。

でもそれは家の中だから許されることだけど、家以外で同じことをやったら反感を買うであろう。「呑気に工作なんてやってる場合じゃないだろう」って。

その辺をどう対応していけばいいのか、悩むところです。



ところで

非公開記事にパスワードを入力すると見れるように設定しました。
(よく分からないのですが、ブロ友に登録しなくても見れると思います…。たぶん…)

興味のある方はパスワードをお知らせしますので、メールフォーム(サイドバーのプロフィールのところから行けます)でご連絡ください。
とりあえず今日は、息子の作品(昔のだけど)を載せてみました。(ひとつ前の記事)

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作品集。
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